「信頼」のほんとうの意味
対話の中で出てきた「信頼」という言葉。心地よい人間関係を構築する上で、近しい・親しい関係性において「信頼」はとても大きなエッセンス。
辞書引きしてみた「信頼」
「信頼」を辞書で引くと、
- 「信」・・・ 偽りがないこと 誠 忠実 疑わない
- 「頼」・・・ たよる 助け 期待 信用 あてにする
- 「信頼」・・・ 頼りにできるとして信じること 信じて頼ること
従って「信頼できる人」というのは、「嘘偽りがなく、いざという時には助けてくれるような、頼れる存在」という意味になります。
従って「信頼しあう関係」というのは、「お互いに嘘偽りがなく、いざという時にはお互いに支えとなり、頼れる関係」という意味になります。
例えば、パートナーは(妻は、夫は)「信頼できる人か、そうでないか」。そこには常に「期待」が乗っかっているので、裏切られた時、嘘をつかれた時、期待に沿わなかった時には、
「信頼していたのに!(裏切った)」という風になります。
「信頼していたのに!」となると、プッツン切れて、その関係性は壊れます。信じていたのに裏切られたという「怒り」。その信頼と関係性の回復には物凄いエネルギーを使うということは容易に想像ができます。寝食をともにしているパートナーであれば、尚更にです。たった一度の・・・なんて言うことは沢山、ありますね。
一度失った信頼を取り戻すには、どうすれば良いのでしょうか?
嘘偽りなくすれば、信頼は回復するのでしょうか?助けを求められた時に、都度応えられば、信頼は取り戻せるのでしょうか?いつでも期待に添えられれば、信頼は回復するのでしょうか?時の経過とともに、感じた「怒り」が癒えれば、あるいは怒りの感情の裏にある「悲しみ」の感情が癒えれば、信頼は取り戻せるのでしょうか・・・?
言霊・数霊で読み解いた「信頼」
「言霊」について触れたブログ記事の中で、カタカムナ文字について記しました。
辞書引きの意味で捉えると「信頼を取り戻すこと」はほぼ不可能に近く、どうしたら取り戻すことができるのか?の答えも見つかりません。なんとなくこの辞書引きの「信頼」の影には「依存」が潜んでいるようで、良い響きを感じないのです。そこで「しんらい」をカタカムナ思念と数霊の思念で読み解いてみたら「信頼」の本質が見えてきました。
言霊:命や死、現象、エネルギーの渦、空間、身体、陰と陽
数霊:根源、統合、調和
「信頼」の本質は、
- 陰陽様々な現象が渦を巻きながら統合していくこと
- 外に向かって表れる、示される現象が調和していく様
と読み解くことができました。
信頼を生み出すのは何か
辞書引きの「信頼」で感じた窮屈な部分、それは「私もあなたも同一でなくてはならない」と言う概念です。一方、思念読みをした「信頼」からは、本来違う性質のものがあり、互いを認め合いながら調和するという「人と人との繋がり」の本質が隠されているように感じました。
関係性が築かれる過程。それは、「私はこう思う」「私はこう感じている」を表現し、お互いの考え・意見・感情などを共有し、お互いを知るところから始まります。お互いに共有しあい「君はそう思うんだね」「あなたはそう感じているんだね」と受け入れ、コミュニケーションを重ねる中で、共感が生まれます。なんとなく、この共感が全て!で、価値観などの相違はだめ!という極端なものではなく、互いの違いを受け入れ、お互いの存在を尊重し合う人との繋がりの中から得られる安心、穏やかさ、癒し・・・・。
そうして生み出されるのが「信頼」なのでしょう。
失った信頼関係を再構築するには
お互いをよく知るために、コミュニケーションを重ね、互いの存在を認め合うこと。違いを認め合うこと。表に示されている意見などは自分とは同一でなくても良い、違いを尊重しつつも(例えば男と女の根本的な思考の違いなど含め)、根元にある考え方や価値といったものや大切にしたいこと、思いに同じものをイメージできるのなら、共感が広がっていきます。その先に一緒にいて安心や穏やかさが取り戻せた時・・・再び信頼関係は築かれるのではないでしょうか。
そして、自立したもの同士の「相互依存」の関係性の中でこそ信頼は育まれていくもの。そこには、程よい距離感も必要なのかもしれません。自己成長して「依存」からその先の「自立」へ向かうことも、信頼関係の再構築には必要なプロセス。自己成長にも、自立にも、信頼構築にも、まずは個(自分)を見つめ直し、知り、大事にすることが出発点です。