1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災。今年は100年目になります。
臼井甕男先生が、臼井靈氣療法を確立されたのはそのたった1年半前の1922年(大正11年)3月。
この未曾有の大震災が、臼井先生と靈氣療法を短期間に東京ばかりではなく地方にまで知れ伝わるに至った所以でした。
震災当時の貴重な映像がありました
東京新聞の特集記事(2023年1月15日朝刊)
その時の靈氣のエピソードは、こちらの本の中で綴られています。
真の恐怖は、数日間猛威を奮い続けた火災だった。本所の陸軍被服廠に避難した四万人以上の人が焼死した。一方、浅草の浅草寺に難を避けた十万人ほどの人々は奇跡的に助かった。小山君子先生(昭和初期に靈授を受け、後に臼井靈氣療法学会の第六代会長を務められた方)によると、苦しむ人々があまりにも多いので、臼井先生は一度に五人の患者を治療した。片手で一人、もう片方の手で一人、右足で一人、左足で一人、そして一人は凝視によって癒した。それでも間に合わない時には、数名のグループ全体に靈氣をかけたそうだ。
牛田十三郎先生(元帝国海軍少尉、参謀長、後に臼井靈氣療法学会の第二代会長を務められた方)は、臼井先生のこの渾身の奮闘を七人の高弟子とともに援護した。大震災が靈氣の歴史を変えた、と小山先生は言う。1923年(大正12年)9月以前、靈授の仕方は臼井先生以外誰も知らなかったが、震災後、臼井先生は生徒の中から先輩格を八人選び、靈授の仕方を伝授した。伝授された者たちは震災の傷跡を何ヶ月もかかって歩き、苦しむ人々を癒し、必要な時には靈授をして回った。小山先生によると、その数は数十万人に上ったそうだ
他に何もいらずに怪我を治すことができると言うのは、いざという時に、被災した時に、
そしてもし遠隔ができたならば、その地にいなくても大切な人や家族が困難な状況にある時に
施すことができるのは、何にも変えられない「安心」に繋がります。
病気よりもずっとケガは反応良く治癒へ導かれます。
(病気は精神面や、生活習慣など、様々な要因によって引き起こされている為、治癒に至るまでに
その人の発揮できる回復力次第なため個人差がありますが、ケガはもっとシンプルなので結果が出やすいのです)
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