農家さんから寄贈される苺。「ゆずりはの工房」でこの苺たちがジャムに加工される。
昨日ぱくぱくと頂いた。小粒だけどしっかりと甘い。
アフターケア相談所ゆずりはに通い出して早4年目。ここで触れ合う時間は、普段とは(例えばゆるりはや日常生活とは)全く違う気の遣い方をする。
基本自分の事で精一杯に生きている子たちだから、ゆずりはという「安全基地」(居場所)では、おしゃべりしたいし、話を聞いてほしいし、好き勝手に過ごしていい時間。他愛のない日常のことや、たわいの無い事を、リラックスして話すことができる。一方、社会とのつながりを求めて集ってきている彼女彼ら達は、自分の領域を犯されないように、傷つかないように、相手をもの凄く観察しているのもわかる。
決して全員では無い。けれど、ここに定期的に集う子たちの社会は限られていて、その多くが対支援者や対社会福祉士、対訪問看護士、対心理士、対精神科医、対カウンセラー・・・など、決して「平等」「対等」ではない人間関係。その人たちとの距離感(例えばどこまで頼っていいのか、信じていいのかと)常に様々な事にも考えを巡らせて疲弊している。なので、対人関係で過度に緊張して疲れてしまいがち。自分の思いや考えを表出、表現するスキルや、平等の関係性でのコミュニケーションスキルを身につけるという機会が乏しい故に、習得も難しい。人間関係で躓く要因のひとつになっている。
そんな中、昨日はひとりの女の子といい感じのやり取りが出来た事はとても嬉しかった。「ほんの些細な事」でも、気軽に相談できる頼れる大人がいない20過ぎの子にとってどんなにシンドいか。すべてが「生きるのつらい」に繋がっていく。
もうひとり、社会的養護出身ではないけれどゆずりはに足繁く通い始めて1年くらいの子がいる。彼女は原田マハさんの小説「生きるぼくら」(いじめから引きこもりになった主人公が米づくりを通して再生していく物語)を読んで、米づくりがしたいと言っていた。今年に入って「貴子さん連れてって欲しい」とリクエストを受け、去年集めていた「ZUSHIおばちゃんち」募金が1万数千円あるので往復交通費の補助として活用できるし、田んぼに連れて行ける事になった。来月の田植えをとても楽しみにしている。その彼女が昨日は「いつも皆がやってもらってる貴子さんがやっているの、私もして貰おっかなー!」と初めて靈氣を受けてくれて、手当てしながら、色々自分の事をおしゃべりしてくれた。嬉しかった。