「会話がなくなったらおしまい」
お互いに関心を持たなくなる様や
関係性の終わりを意味するフレーズの一つ
話をする人と話を聴く人
その双方がいて初めて成立する「会話」
家庭に
夫婦の間に
親子の間に
会話のある日常
会話がなくても以心伝心で
全て相手のことは理解しているから問題ない
会話なんて面倒くさいし
そもそも話す事ないから会話がなくても問題ない
そんな風に思っている人も
もしかしたらいるかもしれません
会話がない状態が日常化している事に
もし慣れている自分がいたならば
ふと立ち止まってその日常を疑問視する
人と人が柔らかい関係性で
繋がり直すきっかけ
もし身近に子どもがいるなら
自分を話し 他者を聴くという
人との基本的な繋がり方を
家庭で繰り広げられる日々の中で
体得していく
自分を表現する力も
体得していく
ゆるりはに来る人が帰る際に
度々呟かれる言葉がある
「久しぶりに 自分のことを話した」
「ここに来た時だけ 自分を話せる」
「ここに来た時だけ 自分に戻れる」
「ここに来た時は 自分をケアしようと思える」
「自分を話すこと」それ自体が
自分で自分を愛でる行為
自分で自分を認める行為
自分で自分を大切に思う行為
話すには必ず聴く相手がいて
「自分の話を聴いてもらう」それ自体が
相手からの関心が寄せられる行為
相手からの愛を注がれる行為
相手から大切な存在と
自分の存在が認められる行為
話し合い 聴き合う
お互いがお互いの存在を
尊重し合い愛を届け合う行為
緩やかながらも
継続的な対話によって
心は回復へと導かれる
それは
自分からも他者からも愛と関心が注がれ、
自分という存在を感じられる時間が
少しづつ積み上がってゆくから。