あえて「やらない」という選択
「やってみたいを邪魔しない」
「できること・すべきことの邪魔をしない」
「可愛い子には旅をさせる」
私が娘の子育ての時 大切にしていたこと。
「女の子だからこそ気をつけてほしいこと」や
「女の子だから知っておいてほしいこと」はあっても
「女の子なのに」という理由で行動制限するということは、一つもなかったように振り返る。
(言葉遣いは除いて・・・どうしても「美味しい」を「ウマイ」と表現するのは馴染めなくて)
自分がやった方が早いとか、上手とか、失敗しないとか。
時間がないとか、色々な事情があって、子どもがやってみる前に(子どもがやり始める前に)大人がやってしまう場面はよく見る風景。
その子どもはそのうちに
自分で考えることも、行動を起こすこともしなくなる。
「自分がやらなくても、ママがやってくれる」
「自分がやらなくても、パパがやってくれる」
「自分がやらなくても、誰かがやってくれる」
自分でやる必要がなくなって「何もできない子ども」になっていく。
でも、子どもは何もできないのではなく、ただ時間がかかるだけ。「未熟」で「成長過程」なのが「子ども」なのだから当たり前。
これは「おしゃべり」も、同じ。
子どもが自分で話す前に大人が代弁しちゃうと、
その子は主張することをしなくなる。
そして「自分が何を思っているのか」は見えなくなり、わからなくなってゆき「自分が話したいことを言葉にする」その場面がないから、その必要もなくなっていく。
そうやって「自分がよくわからない子ども」になっていく。子どもは自分の意思や思いがないのではなく、何も言えないのでもなく、
自分の気持ちや意思を表していけるようになるには、ただ時間がかかるだけ。
そしてその成長には必ず、個人差がある。
他の子と比べても、意味はない。
大人は、その育まれてゆく時間を待ってあげる必要がある。
流れる時間は、子どもと大人では全く違う。
成長に「時間」や「隙間」や「空間」が、とても大事。
子どもの育ちを邪魔しない。
子どもの時間を大人が乗っ取らない。
やってあげる事も大事だけど
やってあげないという事もそれ以上に大事。
子どもの力を信じる。委ねる・・・
そうして子どもは自信は身についていくし、
見守る大人も、子どもを信じる力を身につけていく。
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これって夫婦関係でも当てはまる事と思いませんか?
夫婦の相互理解を深める会話や、信頼関係、家事の分担のことなど・・・
お互いの話す聴くから遠ざかりすぎて
コミュニケーションを諦めてしまった結果、会話の必要性がなくなっていたり。
女性が一手に引き受けがちな、掃除も洗濯も買い物も育児も、「あえてやらない」という選択をしてみると・・・
結果、お互いに、成長できると思います。
そしてそれには、やっぱり「待つ時間」は必要です。