以下は、当時お母さんの依頼を受けて思春期の不登校気味のお子さんに遠隔靈氣を2〜3日毎にしていた、4−5年前の備忘録に少し加筆し掲載しています。
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私は、かつて乳幼児を持つ保護者向けに「0〜7歳期の子育ちの環境づくり」をテーマにお話しさせていただく活動に力を注いでいた時期がある。
“健やかに、幸せでいてくれたら、それでいい”
“自分らしく、歩んでいってほしい”
“人に愛される人に育ってほしい”
「将来どんなお子さんになって欲しいですか?」の問いに対する保護者の方々の答えのほとんどは、
大それたことも、多くのことも望んではいなくて、極々、普通。
でも、かつては皆子どもだった親は、すっかり大人の世界の住人。うっかりすると、色鮮やかに輝き、自由で、可能性に満ちた、子どもの世界、子どもの限られた時間を、大人の価値観と主観で台無しにしてしまう。
それは、
もう、
ほとんど、
無意識のうちに。
“自分の人生は自分で選びとって生きて欲しい”と、本当は望んでいるはずなのに。
子どもが子どもらしく生きて育つ権利を、大人は無意識のうちに奪ってしまっていることが、子育ての日々の中にはたくさんある。日常の場面の積み重ね。少しづつ、積もり積もっていく。「あなたはあなたのままでいい」と、自分を表現することも、自分で存在することも許されない場面が、否定される場面が、受け容れられない場面が、積み重なってゆく。
学校生活が始まると、「みんなと同じようにしていないとダメ」という均質化した教育の中で、本当の自分がもっと出せなくなる。
いつの間にか、自分を見失ったまま成長していく場合もある。
自己を確立していく中での葛藤や挫折、自分を客観視できるようになって現実を知り、悲観したり、自信をなくしたりということもある。
家でも、外でも、自分が出せない場合も少なくない。
生きている理由も、
生きている実感もない、
絶望感が積もっていく。
自分がわからなくなる。
いるのか、いないのかも。
その当時は身体の土台である「足」が専門だったので、「足づくり」を切り口に「身体づくり」を真ん中にしたシンプルな子育てを提唱していた。思春期〜青年期に、自分で人生のいくつもの選択をしていけるために必要な力や、生きる力を育むために、0〜7歳期にできることは何か。何をすべきで、何をすべきではないのか。日常の振り返りを含め、日々の暮らしの中での大切なことをお伝えしていた。
遠隔で靈氣を送っていた彼女も、3回目から徐々にエネルギーの器が満ちている感覚があった。
漠然とした不安の中に生きている様子と、緊張が伝わってくる。けれど、悲壮感などはなくて、どこか自分自身の身に起きていることさえも他人事な、疲れてしまうし答えが出ないから考えることをやめてしまっているようだ。彼女自身がどうしていきたいのか。自分を生きるために、今こそこの「身体づくり」から始められたらいいのではないか、そう思った。
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写真は、講座の時に活用していた娘の靴たち。
今だからこそ、お伝えできることもあるのではと思う時がある。
もうすぐ成人になる娘の子育てを終えて、振り返りつつ見えてきたことも多々。
時代が変わり、一層シンプルな子育てが難しい環境にもある。
情報格差も激しい。
もしかつての私の講座の内容や、子育てに関する話しやおしゃべり、情報共有に興味ある方いましたらご連絡ください。
ゆるりはで、そのような会を設けるのも良いかもしれません。