異常なしという絶望
血液検査の数値は異常なし。
エコーでも内視鏡でも異常なし。
でも、なんだかずっと不調――いわゆる「未病」の状態。
医学的・科学的には「病気」と認定されず、
でも不調な状態は長引き、一向に治る気配はない。
病名がつき、対処方法が存在して初めて、
薬や外科的処置による治療を提供するのが現代の病院。
効果的な対処療法がない患者は、取り残されてしまう。
世間一般的にはそれらを「原因不明」とし、
明確な科学的根拠が見当たらないと、
「心因性」「自律神経」「アレルギー疾患」といった
言葉で片付けられがち。
原因がわからないというよりも、
目の前の患者を人間全体として診ていない。
ここに、現代の日本の標準医療が抱えるひとつの限界があると感じています。
日本の医療って最先端なの?
そもそも日本の医療の歴史を振り返ると、明治以降に西洋医学が取り入れられた頃、急務だった感染症や外傷への即効性を求めて「対症療法(対処医療)」を中心に導入された経緯があります。身体を細かくパーツ分けして診る手法は発展したけれど、心やからだ、生活環境や生活習慣まで含めてまるごと診るホリスティックなアプローチは、公的に根付く機会を逃したまま現在に至っています。
一方で欧米などの医療現場に目を向けると、(もちろん欧米にも医療費の高騰や保険制度の課題はありますが)単に「症状を消す」ことだけにとどまらず、細胞レベルの代謝や腸内環境、慢性炎症といった「根本原因」への追及や、食事・睡眠・ストレスなどのライフスタイル評価、心とからだの相関関係、さらには西洋医学と各種療法を組み合わせる統合医療など、多様な視点が標準的な選択肢として考慮されています。
日本の栄養学って最先端なの?
「栄養学」におけるアップデートの遅れやズレも、大きな原因だと感じます。例えばアメリカでは大腸がんの罹患率・死亡率が減少傾向にある一方で、日本では年々増え続けているのが現状です。
もともと腸が長い日本人の身体に欧米型の高脂質・高タンパクな食事が合わないという理由もありますが、それ以上に大きいのは、世界が「食」に対する科学的な検証を重ね、都度進化させている点です(1977年のマクガバンレポート、2005年のチャイナスタディーなど)。かつて日本が育んできた「一物全体食」や「玄米菜食」といった智慧を、世界は科学的に検証し直し、プラントベースやホールフード食といった概念を取り入れて進化させています。
現代の分子栄養学や腸内細菌の研究では「何をどれだけの割合で食べるか(比率)」よりも、「どんな質のものを食べるか(例:加工肉か、未精製の穀物か)」「腸内環境にどう影響するか」が重要視されています。にも関わらず、日本の公的な健康指針や教育現場では、いまだに昭和時代からの古い基準に固執していたり、経済や政治的な事情から「牛乳神話」が変わっていかなかったり……。
現場の栄養管理の仕組みを含め、最新の予防栄養学の知見がアップデートされないまま取り残されている現状に、大きなズレを感じざるを得ません。
皆保険制度の恩恵の陰で
誰でも安価にリーチできる日本の皆保険制度には素晴らしい側面があります。だからこそ助かる命がたくさんあるし、医療費で自己破産することもない。外科的な医療処置なども標準医療でかなり高度なものを利用することもできます。救急車を呼ぶだけで数十万吹っ飛ぶという他の国とは全く違う世界。この制度のおかげで救われている人が多くいるのは、間違いのない事実です。
一方で私たち日本人は、その手軽さと安心感があるからこそ、いつの間にか過度に医療へ依存し「病気は医者に治してもらうもの」という意識を強めてしまったのだと思います。本来誰もが持っている「自力で整え、治していく力(自然治癒力)」や、自分自身の頭で体の声を聴き考える姿勢が、少しずつ削ぎ落とされていってしまった。。。のだろうと思います。
日本の医学部の教育は病気の「診断」と「治療(手術や投薬)」が中心。「栄養学」はほとんど習わないので「管理栄養士」に分業されますが現在のシステム構造のままでは彼らもまた世界の最新の栄養学に追いつきにくいのが現状です。(病院食のバランスや質の悪さは想像が着くと思います)病院としては、医療処置を施し投薬する方が利益が出るし、結果も早くに得やすい。患者には外から入れる薬や商品に頼り切らせることで消費が生まれ、経済が回る構造。
欧米から見れば、まるで「薬を食べて生きている」かのように見えるほどの薬漬け社会の中で、私たちはそのループからすっかり抜け出せなくなっているのではないか。その違和感にもはや気づいてもいないのではないか。そう思わざるを得ません。
自分に主権を取り戻す
ドクターショッピングは終わることなく、
不要な薬やサプリ、誤った食事療法など、
マイナスのループから抜け出せない。
自分の状態の診断や回復の主導権を、
いつまでも他者(医者)に委ねていたら、絶望しかない。
話が通じない医者を前に、
「病名」を探す診察と検査で
その絶望を私自身も何度も味わった。
我が身をもって経験する中で、
学びを得ることが本当に多かったから、
これもまた無駄なことはひとつもなく。
自分自身の選択で引き寄せた結果と体験を、
引き受け直す。
回復への道筋は、他人に作ってもらうものではなく、
自分自身の身体と静かに向き合い、
自らの手で引き戻していくものだと
いま改めて感じています。
病とどう向き合うか。
治してもらうのではなく 自分で治すと決める
今ある症状に囚われすぎず、抗わず
心配しすぎて最悪の事態を想定せず
回復する 自分に備わったその力を信じる。
自分自身との対話が
一番大事なことだと思います。

この記事は約2年数ヶ月前、私自身が同時多発的に壊れてゆく内臓の理由も治療法もわからず困惑していた当時に感じていたことを下書きとし保存していたものを改訂して公開しました。(現在は長期化している内臓の不調の原因究明が終わっているからこそ、綴り終えることができたのだと思います)




















