楽しいことは楽しいと
嬉しいことは嬉しいと
幸せなことは幸せと
痛いものは痛いと
苦しいのは苦しいと
悲しいのは悲しいと
寂しいのは寂しいと
そのままに
受け入れてもらったり
共に感じてもらったり
表せないこころを
言葉にしてもらったり
しんどい時には辛いのねと
声をかけてもらったり
大丈夫?と
こころを掛けてくれたり
傍に寄り添ってもらったり
抱きしめてもらったり
悲しい事実だけれど
幼い時からこういった
温かい記憶という土壌を
持たず生きてきた人は
自分という輪郭が朧げで
自分を生きれているか
それさえも朧げで
自分の領域も曖昧
だからこそ
自分を自分で護るという
術も身につけられず
健全に存在すべき
自分と他者の間の線は
そもそも無いものとされ
尊重されずに生きてきたから
身を護るためにその線を
引くよりも前に 反射的に
自らの領域を侵してしまう
外からの侵入も
無意識に受け入れてしまう
役割を脱ぎ捨て
「私」で生きた先の
自分という輪郭を取り戻し
「私」を生きていくこと
傷ついた過去に
「埋もれた私」を掘り起こし
救い出せるのは
「今の私」しかいない
そのタイミングが
いつ訪れるのかは
わからないけれど
「私」を生きるを諦めずに
今なら大丈夫という
時の訪れを焦らずに待つ
足を取られたままの泥も
被ったままの砂も
今の自分が払いのけ
今の自分が
埋もれたままの自分の
伴走者になる
労いと安らぎを手に
ようやく辿り着く
私で生きた先に
私を生きる道が拓ける
「私」という命の養生
ゆるりは




















