ひとりになりたい
ひとりになりたいけど
実際ひとりはきっと淋しい
だから
もっと旅をしたい
あらゆる関係から解放され
自分本意(心)で生きたい
新しいコトとの出会いより
ひとりになって
あらゆる関係性から離れ
自分の根っこ(心)と繋がりたい
自然と関わりたい
生き苦しさの元凶である
あらゆる関係性を断ち
本来の自分が求める
自然(心)と繋がりたい
自分の人生なのに
様々な関係性に押し潰され
我慢して枠に納まり続ける
他はないと思わされている
この余白がない世の中で
自分を見失わずに居られる人は
とっくにもう人間の心を
失ってしまっているのかも知れない
自分を見失い心病んでしまった人は
人間の心を失わない為に
いま闘っているのかも知れない
自分の気持ちに正直に生きれない
人間臭さを失ってしまった人の瞳は澱み
とっくに放つ光は失われてる
人間らしいのはどっちなんだろう
人間臭いのはどっちなんだろう
もっと人間臭く生きたっていい
余白のある世の中に
先日訪れた天山の湯治郷の瓦版に掲載されていた内山節氏の寄稿。とても共感したので、一部抜粋にて記載します。
私の好きな仏教教典に『華厳経』がある。
ー中略ー
『華厳経』では毛穴の中に全宇宙があるという書き方がよくされている。この世界にあるすべてのものは結び合っていて、この結び合う世界が「私」などの個別のものをつくりだしている。今日的にいえば、関係がすべてのものを生み出しているという事である。だから毛穴ほどのミクロの世界も全宇宙的な関係の産物なのであって、故に毛穴の中に全宇宙があるという事にある。この視点から見れば、人間は関係し合う世界から離れて一人になることなどできない。なぜなら存在自体が関係の産物だからである。ところが時に人間は、いろいろな関係から離れて一人になることに憧れる。これは原理的には不可解な願いだ。関係によって生み出されている「私」が関係を断ち切ることなど、できようはずもない。
にもかかわらず、人はなぜときに一人になる事に憧れるのか。それは現実の自分と共にある結びつき、関係が煩わしいものに感じられるからだろう。今日の私たちは、人間たちが生み出した人工的な世界と関係を結びながら存在している。例えばお金との関係もそのひとつだ。交換のための単純な道具としてお金があるのならまだよいが、現実にはお金が権力になり、お金に縛られながら私たちは暮らしている。例えば国家との関係もそうだ。国家が生まれると、国家は人々を支配し、監視しようとする。さまざまな制度をつくり、私たちはそこから抜け出す事ができない。企業との関係や市場との関係、人工的な人間関係がつくりだす小さな権力との関係。そういうさまざまな人工的につくりだされた関係が私たちの周りにはある。
私たちが逃れたくなっているのは、この関係からである。だがそのことは、すべての関係を断ち切ることではない。それは人工的につくりだされた関係から逃れる事によって、太古の昔から人間たちが持ち続けてきた関係の世界を再発見し、そこに身を置こうとする試みだと言ったほうが良い。例えば森のなかにテントを張り、火を焚いて炎の揺らぎを一人で見ていたとしよう。ここには自然と人間の関係があり、火と人との関係がある。どちらも、太古の昔から人間たちが持ち続けてきた関係だ。一人で旅をし、行く先々で色々なものを発見し、ときに感動したりするとしよう。それもまた旅先で一瞬だけ成立する新しい関係を作り、その関係を通して発見されたものに何かを見出す行いである。そしてそこにもまた、太古の昔から旅人たちがみいだしてきたものがある。旅は、その相手が自然であれ、訪れた町や村であれ、それらとの間に刹那的な関係が生み出され、その関係は私たちに何かを教えてくれる。
私たちの精神の古層には、過去から受け継いできた記憶が残されているのである。その記憶は、昔の人たちがもっていた関係から生み出されたものだ。ところが現代世界で効率よく生きようとすると、この過去の記憶は邪魔になる。太古の記憶からすればお金も国家も、企業や市場経済も無価値なものであり、この記憶が表に出てしまえば、現実社会の中では私たちは生きにくい。だから人間たちは精神の古層にある記憶が表に出てこないようにしながら日々を過ごしている。
だが精神の古層にある記憶は、人工的な関係の中で生きる虚しさをそっと教える時がある。そんなことはやめて、太古の記憶の世界に戻ってこないかとつぶやくのである。そしてこのつぶやきに惹きつけられる時、人間はあたかも一人になる世界に戻っていこうとする。しかしそれは一人になることではない。忘れていた関係の世界に戻っていくことなのである。
温泉に入っていると、ここでも太古からの関係の世界が甦ってくる。大地の奥底から流れてくる温泉。そこに浸かりながら、私たちは大地と人との関係を、地球という生命体と人間との関係を甦らせる。かつて人々は大地や、その大地が作り出した生命の世界と自分との関係を感じながら暮らしていた。温泉はこの関係の世界に私たちを連れ戻してくれる。人工的に作られた関係を忘れて、記憶のそこにある関係を回復させてくれる。